気づいたら3年目だった。
気づいたら3年目だった。
言葉通りである。
なんの表も裏もなくただそれだけである。
ぼくはもっと有意義に初期研修生活を送るべきだったと思うし、もっと有意義に学生生活を送れたと思う。
ただ、その隙間に挟まっていたはずの国試浪人時代の記憶はもうほとんどない。
毎日東京のど真ん中に混んでる電車で通い詰め、100回くらい松屋に行って牛めしを食べたし、150回くらいサブウェイに行って「生ハム&マスカルポーネをハニーオーツで野菜上限」と唱えた。
何度かは友達とご飯に行ったし、たぶんかなりの時間を勉強に費やしていたのだとは思うけど、ぼくの心にはほとんど何も残っていない。
あの頃に直接関わっていた人達はSNS上の繋がりを残して既にほぼ消え去っている。
出会った人で、まだ何回かは会えるかなと期待している人は少しばかりいるけど、気付いたらみんな人生の駒を進めていたり、SNSから消えてしまったりしているからぼくみたいな人間とはもう会いたくないだろうなぁとか思ってしまう。
なんか夢みたいだったなぁってあの頃を思い出すと必ず思う。
今まで過ぎ去った時間の中では一番早かった一年だったかもしれないと思う程度に。
気付いたら医者になって2年が過ぎてたし、たぶん気付いたらもう3年くらい経って専門医取ろうとしてるんだろう。
ぼくは案の定「国試なんて普通にしてれば通るよ、ぼくは落ちたけどねハハッ」とか言う愚物に成り果てた。
実習で回ってくる学生に、周りと同じように勉強してれば大丈夫だよ、なんてありふれたクソの役にも立たないアドバイスをし続けている。
喉元過ぎれば熱さ忘れるってすごく本質をついた言葉なんだなぁみたいなふんわりした感想しか出てこない。
今のぼくは本気で「国試なんて普通にしてれば通る、落ちるわけがない」って思っちゃってるもの。
自分が普通じゃなかっただけ、単に勉強頑張れなかっただけ、って思ってる。
だから、教育って難しい。
誰かに何かを教えるなんて大層なことなかなかできないけど、大学病院のレジデントっていう立場上それをせざるを得ない場面は時にあって。
その「教える」対象の立場だった頃のぼくがそれを聞いて理解できるかなっていうのを基準になるべく話してるけど、そううまく行かない。
せめて質問しやすい相手であり続けたいとは思っている。
教えるのが下手だけどせめて教わりたいと思われ得る人でありたいと思うのは贅沢だろうか。
ぼくはそのうちだんだん教えなきゃいけない立場になっていくはずだ。
今の所ありがちな内科医ルートを辿っているので。
教えるってことをせめて教わる側の気持ちを考えながらできる人でいたい。
今日もなんだかやる気が出なくて、気付いたらきっと明日になっていて。
ある日突然死んでしまう確率なんてかなり低いからきっとダラダラと生き続けるんだろうなぁ、なんてね。