けんしういになった

ご無沙汰しておりました、にゃーです。
今日はなんだか眠れぬ夜なので久々に筆?をとってみました。


気付いたら1ヶ月が過ぎ去ろうとしている。
初期研修2年間の1/24。
長いと思うか短いと思うかは人それぞれだと思うけど、ぼくにとってはあっという間だった。

新しい土地で、生まれて初めて社会人で。
ついでに学生時代の実習とはだいぶ様変わりしてしまった医療環境で。



国浪時代に何をやったかちゃんと残しとこうって決めてたのに、もうぜんぶ忘れちゃった。
ぜんぶは少し嘘だけど、ぼくが絶対になりたくなかった
「国試なんて普通にやってれば落ちないよハハッ」
とかいうクソみたいなアドバイスしてくる先輩に成り果ててそうな予感はあるからぼくはもう口を噤むしかない。
記録は常にすぐにやる、大事なことだったんだね。

でも、合格発表の日とか卒業式の間の自分の存在意義すらもわからなくなったあの頃の気持ちはこの命ある限り忘れたくないと思っている。




ぼくの今いるところはおそらくハイポというカテゴリに入る。
体力的にも精神的にもぼくは医師のなかでかなりよわっちいタイプなのでこれでも手一杯さを感じる日も多い。

おまけに生まれ持ってしまった不器用さも毎朝痛感してる。



Twitterのタイムラインを見ていて、かつて共に国試を目指した人たちが、今のぼくにはまだできないことをやっているのを見るだけで少し辛くなってきたりもする。

自分のこなしている仕事と毎月振り込まれていく(予定)(けんしういとしてはごく一般的な金額だと思う)のお金の解離にもすごく違和感があったりもする。

自分ひとりでは正確な判断をする自信はないし、ほとんどやってることも指示を受けてやってるだけだし。
たまに資格の関係で自分がやるしかないことをやってるときだけが自分の存在意義を認識できる瞬間で。
それを失敗した日にはもうつらすぎてしんどい。


もちろん少しは勉強している。
だからといってなにか自分でできるようになったわけでもない。
先生に「じゃあなに出す?」って聞かれてたまに先生と見解を一致させられるくらい。

2年間が終わったあとに先生と同じように判断できる自信は全くない。


今現在は明らかに能力に対して過大な対価を貰ってしまっているからはやく「これが正当な評価だ」と胸を張って言えるようにがんばりたい。

今はまだ自分で予想して指導医の答えを見て答え合わせ。
これを繰り返して経験値を貯めていくしかないのだろう。


旅にも出られない連休、勉強するか…