近況報告

研修医になって気が付けば8か月くらいが過ぎた気がする。

読んだ本とか書いていこうとしてみたけど柄じゃなかったのでやめた。

ぼくは相も変わらず超適当に、それなり元気に日々を過ごしている。

 

研修医生活というのはおそらくその人がいる病院によって全然生活が変わっちゃうと思うんだけど、ぼくのいるところはゆったりと時間が流れる系なのでのほほんと生活できてます。

ちょっとめんどくさいことに巻き込まれたり楽しいこともちらほらあったり、いろいろあるけどとりあえずそれなり。いい感じ。

 

2年間の研修生活の1/3が終わって、自分がなにかできるようになったかと聞かれたら「まぁ少しは」と答えられるのだけれど、3年目になって1人でなんでもできるかと問われたら「ぜったり無理です」と答えるしかない感じに成長している。

 

 

最近将来に悩んでいる。

大学卒業したころは精神科一択のつもりだったのに、内科やりたいとか他のも面白そうとかいろいろ考えちゃう。

自分の体力のなさとかメンタルの弱さとかいろいろ後ろ向きの理由を並べないと精神科を選べないくらいには迷っている。

うちの病院には精神科の病床がないし、精神科をまだ回れていないから精神科を診るという経験からだいぶ遠ざかっているのが大きいとは思う。

 

精神科をやりたかった理由も今思うと学生の時唯一理解が追いついたのが精神科だっただけで、国浪中に勉強一通りした後だと他のも面白く見えてきてて。

体力いるタイプの診療科はあんまり向いてなさそうというのは今でも変わらぬ認識だけど、なにがやりたいのかいまだにわからぬ。

医者人生3年目以降を決めるまであと1年もないのにこんな悩んでていいのだろうか。

 

研修中の病院の先生たちからいろいろ聞いたり、産業医研修会でいろんな先生の話も聞いたりはしてみてるけど、聞けば聞くほど悩みは深まる。

結局自分で決めなきゃいけないしなぁ。

ぼくらの強みは将来を決めるまで医師人生2年経験する猶予があることって思ってたのに、そろそろ来年のローテ決めなきゃだしなんだかんだ時間がない。

もうしばらく悩んでいかなきゃな。

 

さっきちらっと言ったけど産業医取ろうとしてるところで。

つぎ何か書こうと思い立った時にはそのこと少し書きたいな。

 

おやすみ。

けんしういになった

ご無沙汰しておりました、にゃーです。
今日はなんだか眠れぬ夜なので久々に筆?をとってみました。


気付いたら1ヶ月が過ぎ去ろうとしている。
初期研修2年間の1/24。
長いと思うか短いと思うかは人それぞれだと思うけど、ぼくにとってはあっという間だった。

新しい土地で、生まれて初めて社会人で。
ついでに学生時代の実習とはだいぶ様変わりしてしまった医療環境で。



国浪時代に何をやったかちゃんと残しとこうって決めてたのに、もうぜんぶ忘れちゃった。
ぜんぶは少し嘘だけど、ぼくが絶対になりたくなかった
「国試なんて普通にやってれば落ちないよハハッ」
とかいうクソみたいなアドバイスしてくる先輩に成り果ててそうな予感はあるからぼくはもう口を噤むしかない。
記録は常にすぐにやる、大事なことだったんだね。

でも、合格発表の日とか卒業式の間の自分の存在意義すらもわからなくなったあの頃の気持ちはこの命ある限り忘れたくないと思っている。




ぼくの今いるところはおそらくハイポというカテゴリに入る。
体力的にも精神的にもぼくは医師のなかでかなりよわっちいタイプなのでこれでも手一杯さを感じる日も多い。

おまけに生まれ持ってしまった不器用さも毎朝痛感してる。



Twitterのタイムラインを見ていて、かつて共に国試を目指した人たちが、今のぼくにはまだできないことをやっているのを見るだけで少し辛くなってきたりもする。

自分のこなしている仕事と毎月振り込まれていく(予定)(けんしういとしてはごく一般的な金額だと思う)のお金の解離にもすごく違和感があったりもする。

自分ひとりでは正確な判断をする自信はないし、ほとんどやってることも指示を受けてやってるだけだし。
たまに資格の関係で自分がやるしかないことをやってるときだけが自分の存在意義を認識できる瞬間で。
それを失敗した日にはもうつらすぎてしんどい。


もちろん少しは勉強している。
だからといってなにか自分でできるようになったわけでもない。
先生に「じゃあなに出す?」って聞かれてたまに先生と見解を一致させられるくらい。

2年間が終わったあとに先生と同じように判断できる自信は全くない。


今現在は明らかに能力に対して過大な対価を貰ってしまっているからはやく「これが正当な評価だ」と胸を張って言えるようにがんばりたい。

今はまだ自分で予想して指導医の答えを見て答え合わせ。
これを繰り返して経験値を貯めていくしかないのだろう。


旅にも出られない連休、勉強するか…

エピローグ1 国浪@T予備校でよかったこと、悪かったこと。

去年の発表翌日、ぼくは予備校への入学手続きを終えて、勉強するための準備を自宅で整えていた。

あれから1年、ぼくはもう受験生ではなくなった。

自分の要領の悪さから考えていつの日かやってくる専門医とかその他の試験でもやっぱり手こずることはあるかもしれないけれど、医師国家試験の受験勉強はもう二度とすることはないだろう。

 

自己採点の段階で概ね未来は見えていたから、過去の受験のようなドキドキもあまりなかったけれど、もち万が一マークミスとか名前書き忘れによる失敗があった時に、わずかな貯金ではどうしようもないくらいにこの1ヶ月使い込んだクレカの請求が怖くはあった。

 

twitterのタイムラインは歓喜と115回勢に向けた応援&アドバイスが溢れている。

去年のぼくも検索して見つけたブログやツイートをだいぶ参考にさせてもらったから、その思いも込めて便乗したい。

以下の体験談はn=1、誰でもそれをそっくりそのままコピーすれば次の国試に受かるというものではない。

ただ自分がやってきたこと、思ったことを文章にしているだけ。

それでも誰かの参考に少しでもなったら、と願う。

 

医師国家試験は合格率の高い試験だ。

だから結局どこで勉強しようがどこの予備校に通おうがどの教材を使おうが、

やり方さえ間違えず、気持ちを最後まで保ち続けることができればちゃんと受かるはず。

ぼくにとってのメリットも誰かにとってはデメリットだったりするし、そこらへんはあくまで主観の問題。悪しからず。

 

まずは予備校通学の話。早く決めなきゃいけないからね。

どんな勉強したかはまた次回に。

 

 

ぼくは去年の発表の翌日、予備校に通うことを決めた。

東京に通学しうる実家を生活拠点として、お金は両親から借りた。

そして、予備校大手2社のうち、マイナーな方(T社としよう)を選んだ。

理由は、両方比べてT社の方がぼくには雰囲気があっていたから。

学生時代の映像講座もそこだったのもあるけれど、今後一番接していくであろうチューターさんたちがとても親身に入校前のぼくの相談に乗ってくれたのが大きかった。

その時に入校する学生の雰囲気も聞いて、あまり派手な学生生活を送ってこなかったぼくには合っているような気もした。

 

予備校と宅浪で迷ったぼくにとって結果としてメリットだったなと感じたところは、専属のチューターさんが毎月面談をしてくれて、ぼくの希望と模試や校内テストの成績を見つつ、ぼく専用のスケジュールを立ててくれたことだ。

毎月進捗確認をされるから誤魔化しがきかないし、もし進捗が悪かったら原因と改善策を一緒に考えてもらえた。

ぼくは最後まで全部の講義に出たけれど、人によってはマッチングを優先したり、講義を一部切って別の勉強に充てたりもしていた。学生時代の他社の教材をメインにしていた人もいた。

これも全部チューターさんは認識していて、とてもフレキシブルに対応してもらえる。

そういえばぼくも、主に登下校中にやっていたオンラインの問題演習はT社のではなくQ社のでやりますって早々に宣言してた。もちろんそっちも進捗チェックしてくれた。

 

ぼくはあまり友人たちとするタイプの勉強会が得意ではなくて、たまにわからない問題や病態を相談しあったり、ごはんを食べながら少し問題を出し合ったりする他は最後まで1人で勉強していた。

だから進捗や成果を他人と比べにくくて、その点の不安もチューターさんのおかげで解消できた。

 

それから、怒濤のテストで強制的にアウトプットを強いられるのも自分のわかっていないところの確認、試験で問われるところのチェックには有用だった。

単元ごとに講義開講前の〇✖100問テスト、その単元の講義終了2週間後の復習テスト、後期に入ってからも難易度高め問題で構成されたテスト、それからもちろん4回の模試。他にもこまごまと小テスト。

全ての成績が概ね当日中には集計されて、校内順位と平均点が分かってしまう。

この成績に一喜一憂することに本質的な意義はないけれど、メリハリをつけると同時にしっかり復習すれば安心感も出るし、よかった。

 

それから、予備校生講義には映像講座では配信されない通学生専用講義が多くある。

自分にとってはここで学んだことがとても役に立ったと感じた。

そしてきっとこれからも役に立っていきそう、そんな予感さえする。

結果的にほとんどの単元について、メイン講座以外にもう一周臨床医の講義がある感じになった。

T社のメインであるm講師の講義ではわかりにくいところはこの講座で理解した。

先生にもよるけれど通学生専用講座の方が納得しやすかったり、丁寧だったり、教え方がうまかったり、そして最新の知見が含まれていたりというのが主に良かったところ。

 

もちろん友人関係もできた。

授業がない日も自習に行っていたから、この1年会わなかった日が両手くらいに収まりそうな人が何人もいる。

勉強の息抜きに下らない話をして、わからないところを相談し合って、不安をお互い口に出して、というのを毎日顔を見ながらできるのはぼくにはありがたいことだった。

 

自分の中で他と違ってよかったな、と思っているところはこれくらい。

もちろん悪いところもあった。

 

授業がつまらないこともあった。あまり国試に有用でないと感じることもあった。

切っちゃえばいいし、もちろんそうしている人もいた。

でももしそれが多くなればお金がもったいないような気もする。

 

人間関係も問題が生じた。

顔を毎日突き合わせてる分不満も溜まるし仕方ないこととはいえ、それで悩んだりする時間はもったいないと思った。

 

 

そして、T社は少数派だった。

ネット上ではより一層。

アンチもたくさんいる。合わなくって講座やめた人の不満もよく見る。

ぼくから見ればいいところも誰かにとっては不満なところだし。

現状いろんな会社がいろんな講座を出しているからよりよく見えるものもたくさんあるし。

模試をやれば解説が丁寧じゃないとか問題が悪いとか言われるし。

 

だけどほぼT社だけを信じてぼくでも受かったし、T社では国試は無理、なんてことはないと思う。

T社も旧態依然としているように見えるかもしれないけれど、日々進歩しているし講座も変わってきている。

完全にぼくの主観的で独善的な分析なのだけれど、T社の解説が不親切、と思う人はたぶん解説というものに多くを求めすぎているのではないかな、と思う。

自分で調べて考えるからわかること、というのももちろんあるわけで。

わからないところは友達や先生に相談するなりしよう。

それでもわからないところはたぶん、国試にはあんまりいらないところだ。

知的好奇心を満たし尽くしているとたぶん国試には間に合わなくなる。

 

114回本番を受けたとき、問題がどことなくT社模試に近いフィーリングだった。

「診断がはっきりとわかるわけではないけどたぶんこれだろう・・・これでいいのかな?しょうがない次行かなきゃ」

みたいなのが続く感じ。

もしかしたら厚生労働省は診断当てよりも臨床的対応に焦点を当てた出題をしたいのかなって感じもあるし、そう考えるとT社の模試の問題も悪くはないんじゃないかな?と、国試をたった2回受けただけのぼくは分析してみたりしている。

 

 

念のため言うけれどぼくはT社から1銭も受け取ってない。

ただ、113回から114回のぼくの人生をT社に任せてよかった、とは思っている。

そんな程度の思いでT社ヨイショした。

115回勢の皆様に幸いあらんことを。

 

次回自分が何をしたかを列挙する。

それでぼくの医師国試に関するお話はおしまいになる。と思う。

 

第14話 第114回医師国家試験を終えて

国試が終わって2日経った。

実感はまだあんまりない。


昨日も今日も電車乗るなりQBonlie起動したし。

早くも卒業旅行に出かけた友人と違ってぼくにはまだ就活もあるっていうのもあるのかもだけど。

1日か2日休んでまた授業があるようなそんな気さえする。


部屋の片付けをちまちま始めたりしながらしばらく生きる。
旅行の計画も練りたい。
予備校がまだ講義動画見ていいよって言ってくれてるし見に行きたい気持ちもある。

やりたいことと手持ちのお金と時間の収支はやっぱり合わなくて、それでも春休みを楽しみたい気持ちもあって、悩む。


今はいろんな気持ちの人がいると思うけど、来月の発表まで正確なところは誰にもわからないわけで。

去年はボーダーを見るたびに心が蝕まれていた。
どれだけ見ても未来は変わらないんだから勉強なり旅行なり楽しめばよかったと思うし、余計に心痛め付けてどうするんだって今なら思える。

もしボーダーが予想より低かったら受かったときにもっと遊んどけばよかった~~って後悔することになるんだし。

切り替えるの大変だけど、見つめててもいいことはあんまりなかったっていうのだけは教訓。


とりあえず113→114回組の各位、お互い1年間お疲れ様でした。
1年より短かった人もいるかもしれないまだ6年生の各位も。
未来のことはわからないけどとりあえず今は精一杯疲れを癒して春休み楽しもうね。




もともとこのブログは国浪記録のために始めたわけではなかったので、
そのうちこの1年してきた勉強とかを、いつの日かどこかの国浪生のためになるかも的な期待を込めてまとめて書いたら日常記録に戻ると思います。

もしかしたら仕事に関する話もするかもしれないし、全然関係ない話に終始するかもしれない。
ぼくにも未来はわからない。

1年弱いつも読んでくれてた皆様、頂いた感想とても嬉しかったです。
ありがとうございました。
もしよかったら今後もたまに覗いてくれたらうれしいです。

第13話 直前期。

国試本番まで30日を切っている。

不合格が決まってから10ヶ月弱、あっという間だった。
自分なりに頑張ってきたつもりだけど、あの時もっと勉強していれば、みたいな後悔は既にたくさんある。


残りの日数でできることと、当日までにやりたいことの収支はどう考えなくても合わない。
なにも終わらない。

QBを回しても3か月前にはあってた問題を間違えたりもして。
いままでなんとか入れてきた知識を溢れ落ちないようにしつつ、まだ覚えていないことを更に詰め込むなんて至難の技すぎる。



誰かと話しても不安になるし、1人で勉強してても不安になる。
9割の人間が受かるはずの試験に落ちてしまうくらいには要領が悪い自分を強く自覚してしまう。
まわりはどんどん伸びてるのに、ぼくは停滞している、そんな気がする。


あんまり気付いてないふりしてたけど、現役生より勉強してきた時間が長いはずの浪人生の模試平均点は、テコ2以降現役生から離される一方で。
浪人するってやっぱりそういうことなのかな。

模試の平均も誰かの得点も、「気にしたって無駄、当日受かればいい」なんて強がってみせたところで気になるものは気になるし。

ひたすらすり減る自分の心。



それに今年は必修もすごく怖い。
去年はなぜか必修は絶対大丈夫っていう根拠の全くない自信があった。
でも、今年は当日1個でも躓けばどんどん追い詰められてあっという間に8割を切る、そんな感覚が既にぼくの中に出来上がってる。
無知は幸せだったのだろう。


ここから1ヶ月足らずで恐怖を自信に変えられる程に自分が強くないことくらいはぼくにもわかっている。
絶対の自信を持って国試本番を迎えるなんて夢のまた夢だった。



だけど。

本番Fブロック終わるまで絶対に諦めない。

途中でどんなに失敗に気づいたとしても、絶対に諦めない。

望んでないのに貰ってしまった社会人になるまでの猶予を無駄なものにはしたくない。
1年間自分はやりきった、そう思えるように。

もしまた浪人生として1年過ごすことになったとしても、後悔は最小限にしたいから。




おそらく今回でこのブログの国試前の更新は終わりです。
いままでお付き合いいただきありがとうございました。
次の更新がいつになるかはわかりません。
もしかしたらそのまま蒸発するかもしれないです。
未来は誰にもわからない。



残りわずかだしみんな風邪とか気をつけてね。
当日しっかり全力を出せますように。

第12話 受験生による情報発信とマウントとかいう不毛。

自覚はあるんだ、タイトルといまから自分がやろうとしていることが矛盾しているってこと。
そして多方面に喧嘩を売りかねないってことも。

だからはじめに言い訳をさせてほしい。


ぼくはこの不定期お気持ち表明ブログを書くとき、基本的には「自分が今何をやっているか」「今何を考えているのか」に重点を置いてきた(つもりだ)。
だってぼくは国試に受かったことがないから。
勉強法を他人様にお伝えするほどには国試のことを知らないし。
自分のメンタルすらまともに保てない人間が、他人のなにかに口を出すなんてことはできないと思っている。

それでも時たま書いているのには、今この瞬間の自分の気持ちは今の自分にしか書けないからだ。

もし来年無事に国試受かって、後輩に国試勉強のアドバイスを求められたりしたら、たぶん翌年くらいはまともなことを言える気がするけど、
数年後には御多分に漏れず「国試なんか普通にしてりゃ落ちないから大丈夫だよ(俺はなんか落ちちゃったけどなハハッ)」とかいうクソの役にも立たない、
そしてその言葉を信じた新たな国浪生を産み出す悪魔の囁きをしてしまうんだと思っている。

わかってるならしなきゃいいのにって言われるかもしれないけど人間ってそんなものなんだよ。

それから、これは考えたくない想定なんだけれど、来年再び国浪生をすることになったときに、1年前の自分が何を勉強して何を考えていたのかってたぶんいい反省材料になるとも思ってる。

あと、もしかしたら今の自分と同じ気持ちの人が世界のどこかにいて、たまたまこの文章を読んでもらえて、共感してもらえたりしたら、味方増えたような気持ちになって嬉しいなっていう小さいけど思い上がった希望もある。

まぁそんなことを考えてぼくは書いています。

自分だけは正義とか全く思ってないし、世にいるたくさんの情報発信者たちみんなに対してこれから書くようなことを思ってるわけでもない。
また、特定の誰かを指してるわけでもなくて、なんとなく風潮みたいな物に文句を言いたくなってしまった、それだけなのだ、許してほしい。

前置きがめちゃめちゃ長くなっちゃったからここまで読んでくれてる人すでにいない気もするけど、タイトルの話を始めたい。



テコ3、冬メック(国試予備校大手2社の模試)後はTLも現実も簡単に言えば地獄だった。
点数が芳しくなくて凹んでる人、急に不安になっている人をたくさん見た。

不安な気持ちや日々のことを共有するのはとても心にいいことだし、トピックとか語呂とか語り合うのもとてもためになると共にいいリフレッシュになると思う。


その一方で何点(いい点数)とれました!みたいな報告もたくさん目にしてきた。
ご丁寧に自分は何点で友人は何点でした、とか報告してきてくれた奴もいた。全く求めてないのに。

それってなんか意味あります?
ていうかあなた国試受かったことありましたっけ??
とぼくはいつも思う。
どんなに模試が取れたって当日取れなきゃ国試落ちるんですわ。
それは僕たち国浪生が一番わかっていることではなかったか。

逆にどんなに模試ができてなくても当日までに間に合わせれば受かる、それが試験だ。

模試というものは、受けた者の中で自分の位置を表示してくれるし、各社が数十年?蓄積したデータを元にある程度の予想問題と結果の推測をしてくれるけれど、
114回医師国家試験の合格者データを持っている予備校は2019年12月の時点で1つもないわけで。
そんな不確実性の上に立つ何かの上でマウント取り合ってもなんの意味もないと思うのはなにかの思い違いなのだろうか。

間違えたところを復習する、この分野は国試本番もいけるかもって自信を持つ、今までの勉強が足りていたのかを確認する、そのために模試はあるのだとぼくは思っている。


勉強法にしたって似たようなものだ。
国試に受かったことのある人がサンプルの1つとしてなにかを語る、それはとてもありがたいことだし、参考になる。
自分の苦手な分野が得意な人に勉強法や覚え方や対策を聞く、それもいいことだと思う。

でも、だからって全部を鵜呑みにするわけはなくて、ここは自分にあってる、これは違うから変えるって当然聞いた側はするわけで。
ていうかそれくらいして当然でしょ、僕たちは国試にはまだ受かってないけどそれを受けるだけの権利を有する程度には数多の試験を乗り越えてきたんだから。
自分の頭で考える力を持ってるはず、だもの。

受かったことないorまだ国試本番を受けたことすらないのにおすすめ勉強法とか全力で語りだしちゃうの、不毛。


まぁでもここまで書いてきてマウントとる人からの反論も想定はできる。

「自分はマウントなんかとってない、結果の報告をしているだけだ」
「点数悪いお前らが悪い」
「マウントをとることが人生の喜びでリフレッシュなんだから文句言うな」
「嫌なら見なきゃいい」

まぁごもっともである。所詮は僕の嫉妬にすぎない。
努力したところでたいした点数取れない自分のモヤモヤが、とても醜い嫉妬と努力できなかった学生生活への後悔から成り立ってるなんて言われなくてもわかっている。

まぁだけどさ、
君たちのマウントは片腎取った患者に
「あなたと違って両腎あるので僕の腎がん予防の食事メニューをお教えします!」
みたいなことを街中で言ってるのと大して変わらんと思うんだよね。

そもそもあんたに両腎あるかどうかなんて聞いてないし、エビデンスレベル低すぎだし、
国浪生でマウント奴に至っては同じ境遇なのになんか語ってるし。
見なきゃいいって言うけどお前が言わなきゃいいだけだよ、ここの身勝手さは同等だ。
だいたい仮にも医療者目指す者として想像力無さすぎじゃない?
まぁせめて批判くらいは正面から受け取ろうよと思うのだよ。


あと1つ心配なことがあって、
点数とマウントでしか自分を満足させられない人たち、もし仮に無事に医者になったらもうあんまりテストないよ?自我ちゃんと保てる?
違うところに価値基準持てるようになるといいねって老婆心ながら。

あ、ぼくは反論フリーです、お待ちしてます。


なんかイラつきをそのまま文字にするとかいう最低のことをしている気もするけど、
なんかよくわからんマウント受け取った側はなんにも気にすることないよっていうのが言いたいだけなんだ。


敏感になってくる時期、自分の見たいものだけ見て生きていこうぜ。

結局は、厚生労働省の出題次第、俺達の敵はあいつだけ。
なんとしても倒して来年の春、笑っていような。

それからぼくはこの文章を書くのに使った時間にちゃんとQBやっときゃよかったって後悔しないように、がんばります。

第11話 そしてまた1ヶ月が過ぎる。

第114回医師国家試験への浪人生活も終わりが少しずつ近づいてきた。

この1年の締めに自分がなにをしていけばいいのか、最後に頼るのはなんなのかを考え始める時期である。

 

 

この数か月、ぼくの中では過去最高に勉強してきた。

絶対今年じゃ無理だと思っていた大学受験、センターの結果が案外良くて二次試験に向けて大慌てで勉強してたn年前の1月をはるかに超える勢いだった。

毎日が最大だったとは到底言えないけれど、長期的にここまで勉強できたことは人生においてなかったと言い切れるレベルだった。

そのつもりだった。

 

だけどその割には、昨日受けたテコ3は期待外れというか逆に不安が増すというか、悲しい結果になったと言わざるを得ない。

あくまでも相対的な部分もあるので平均とか偏差値の出ていない今の段階で出来不出来を語るのはあまり適切ではないかもしれないけれど、それでもわかる。

このままじゃダメ、なんとかしなきゃ。

 

 

ここまでできなかったって感覚を持ったのはあの113回国試以来で。

だいぶ心かき乱されて、結果として模試翌日ほぼ丸1日リフレッシュに使う羽目になったけど、おかげで明日からしっかりがんばれそう。

 

ここ最近の努力は無駄ではなかったという感じもあるにはあったし、自分が何をどう間違えたのか、国試までにどう挽回していくのか、しっかり復習してこれからに繋げていきたい。

 

 

だって受かればいいんだもん。

模試でいくらよくたって当日落ちたら意味ないし。

逆に模試でいくら悪くたって当日までに間に合わせればそれでいい。

去年のぼくはこの思いがありすぎるくらいにあった。

そしてその思いだけで間に合うだけの努力をしないまま当日に向かって行って、失敗した。

今年のぼくは、まだ足りてる気がしないけど去年よりはだいぶ増えた勉強量と引き換えに当日受かるってことだけが大事ってことを忘れかけていた気がする。

模試はあくまでも復習すべきポイント、今後注意すべきトピックを学ぶツールに過ぎない。結果を気にするなんて時間の無駄。

少なくとも自分ではそう思っておきたい。

 

勉強のやり方について、思うところや考えているところはたくさんあるのだけれど、今ここで語るのはやめておく。

もし勉強法うんたらを語るとしたら、ぼくは国試後にしたいと思ってる。

ぼくのやり方で受かるなんて保証はないし、これを見てくれる誰かの参考になる程には洗練されてないから、今のぼくには語る資格のない部分だと思っている。

国試が終わって、1つの国浪成功例(あるいはあってほしくないけど反面教師になる例)として残しておきたい自己顕示欲がもしまだ残っていたら書くかも。

それくらい。

 

 

『映画 すみっコぐらし とびだす絵本とひみつのコ』を見た。

ゆるくてかわいい絵とまっすぐで丁寧で心温まるストーリーに涙が止まらなかった。

もし行き詰ったり悩んだりしていたら、巷で騒がれているよりは多少割り引いて、気楽に見てきてほしい。

いい気分転換になると思う。

 

 

明日も授業。

はやく模試の復習終わらせて、やるって決めたことしっかりやる。

あとちょっとの辛抱だ。

がんばろうね。